幸せってなんだろう?幸せを感じる方法。
こんばんは。
先日は僕が所属しているゼミのOBさん達と飲み会に参加してきました。
もう働いている人がほとんどでみなさん社会人ということに対しての感想は人それぞれ。
「大変だけどお金はあるから楽しいよ。」
「飲み会4次会まで連れてかれて本当に辛かった・・・」
飲み会4次会まで、、、考えただけでも辛い。
一生学生やっていたいという意見のも納得。
そんな中一人面白い人がいまして、今は編集のバイトをなさってるようです。
経歴も面白く、大学在学中に一年間休学をして築地で働いていたようです。(石田衣良の4TEENのダイみたい!笑)
人と違うことをする人って僕にはなにかキラキラ見えてしまってすっかり食いついて話を聞いていました笑
でも現職はアルバイト。もちろん他の正社員として働いてる周りの人よりは給料という面では劣ります。
しかし全く恥じることもなく堂々と編集のバイトしてる!したいから!と言ってのけた彼女に自分の小ささを感じました。
なんで僕はお金を稼いでいるかで優劣を判断したのだろうかっと。
筆者は何度か東南アジア(特にカンボジア)が好きで色々な形で訪れています。
時に旅行であったり、時に支援やボランティアであったり。
貧しい中で生き生きと生きる東南アジアの人々を見てると幸せってなんだろう?と深く考えさせられます。
幸せの測り方
インドの経済学者のアマルティア・センは自身の著書「福祉の経済学」でこう語っています。
幸せとは人間ができること、なれるものの幅である。
このことをケイパビリティと表現し、今までの経済学者が所得や消費から幸せを判断したことを批判しました。
確かにそうかもしれませんね。お金があってもできることがなかったら幸せとは呼べない。
その手段としてのお金だと捉えるのが自然なのかもしれません。
センは著書でできることの限界以下を促すのは社会が保障しないといけないと述べています。
つまり、入院はできても会社を休むと減給だと考え受容しないことです。
確かに人間ひとりひとりができることやなれることに対して保障していくのは社会の大きな役割かもしれません。
お金は必要?
コロンビア大学の盲目の女性教授シーナ・アイエンガーの調査によると幸福度と収入というのは確かに比例するそうです。
しかし、その比例して上昇する割合は決して一定ではないようなのです。
500万円の年収までは緩やかに上昇していくそうなのですが、500万~800万円の間の幸福度というのはほぼほぼ変わりは見えなかったらしいです。
お金は必要ないことはもちろんないです、が、そんなに多くは必要ないということです。
身近な幸せ
ふと思うと人生のルーティーンの中で多くの幸せを感じようと期待すること自体が間違いなのかもしれませんね。
センの言うように読書をしたり、映画を見たりそんな些細なことでも幸せなわけです。
みなさんも日々の生活の中で幸せを見落としてるのかもしれません。
多くのことを期待せずのんびりと生きるのもまた幸せかもしれません。